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生きている廃墟は世界の終わりか、始まりか|無人島・野崎島【五島列島の旅 09】

野崎島に人は暮らしていない。ただ、島の案内人とされる人がいる。小さな観光案内所には野崎島の風土についての展示があり、案内人さんから情報をもらうこともできた。

フィルムをセットして、歩き出す。

「野首教会までは徒歩15分、けっこう高低差があってきついかもしれません」

と案内所の人に言われて、体力のない私は心配になって無料で貸し出している杖を借りた(が、実際には、若い人なら心配しなくても大丈夫な程度だった)。

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すぐに廃墟があった。

普通の住居が廃墟になっていてキリスト教とは特に関係なさそうだ。

たしかに人が住んでいたのがわかる。しかしまあ、けっこう投げやりに……というか、例えば災害があって急遽逃げ出して以降戻ってこなかったかのような、そんな“やりっぱなし”感があった。

つねづね感じることだけれど、家を捨てる時に「立つ鳥跡を濁さず」というような美しい去り方って、実は多くない。廃墟といえば大体こんな風に「何があった!?」という散らかり具合だし、売家も所有物が処分されていないことが多い。家具だけでなく、歯ブラシだとかタオルだとか、使いっぱなしでそのまま置いていってしまうから、見る側は事件性を感じるけれどこれは単に置き捨てているだけなのだろう。

家と一緒に処分してくれればいいや……という考えは合理的な一方、「家全体がゴミになってしまうんだなぁ」というさみしさを感じさせる。

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廃墟を数件抜けると、段々畑と思しきひらけた土地に出た。

菜の花が生い茂り、後ろには赤土の崖、手前には水路や、小さい焼却炉のようなレンガ積みの工作物。

青い空、若い緑と相まって、この光景には奇妙な美しさがあった。

なるほど、ここで人が営んでいたんだな。

と見て取れる証拠がしっかり形として残りながら、それに覆いかぶさるように自然が自生し勝手に美しくなっている、という感じだった。とにかく見たことのない、想像もできないような景色だった。人はもう誰もいないのに、圧倒的な生命力がある。

快晴の5月という条件もきっと良かったのだと思う。ネットで見た冬の野崎島の写真は、同じ風景なのにとても悲しい雰囲気だったから。

まるで世界の果てのようだ。

そう感じたのは、人が住んでいないのに自然が強く生きている状況が、私たち人類が誕生する前の世界に見えたからかもしれない。

でも人が暮らした跡があるから、奇妙なのだ。


団地のような場所もあった。室内には布団が敷かれ、開け放した窓の周りには植物がからまっていた。おぞましく、そして美しかった。

建てられたのは高度経済成長期だというから、滅茶苦茶古いわけじゃない。それがかえってよく見知った”団地”に似ていて、リアリティと怖さを増幅させていた。

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団地を過ぎてしばらく山道を登ると、海を見下ろせた。美しい。美しいものがありすぎて言葉が追いつかなくなってくる。

海はこれ以上ないほど透明で、でも周りの自然は荒々しく力強い。風が強く吹くからだろうか、木はみな風になびいたような形でひんまがっている。いわゆるビーチの透き通った穏やかさとは違う。けっこう過酷な環境なんだろうね。


途中、鹿がいた。三匹、こちらを見ていた。可愛かった。彼らは強風に耐えられるんだろうか。


家の猫を思い出す。元気かな。



するとすぐに、野首教会が見えた。

(つづく)

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【この記事で使用しているカメラ/レンズ/フィルム(左下に透かしのある写真)】
Nikon F3+Nikkor 28mm f/2.8+Fujicolor C200