ここではない、どこか遠いところ

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見えるものと見えないもの|『アフリカの白い呪術師』ライアル・ワトソン

アフリカってどんな場所だろうか。

テレビ番組で頻繁に映し出される半分裸の民族がいる集落。
薄暗く原始的な家や珍妙な食事を
明らかに毛色の違う日本人が体験する。
でも「あれってもうほぼヤラセで、実際は今どきみんなスマホ持ってるらしいよ」という噂もよく耳にする。

そんな風にぼんやりとしかアフリカをイメージできていなかった私ですが、この『アフリカの白い呪術師』を読んで以降すっかりアフリカという大陸、その未知なる世界に魅了されてしまいました。

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この本は、ヨーロッパで生まれながら単身でアフリカの奥地に入り、そこで「占い師」になったエイドリアン・ボーシャという白人男性についての伝記的物語。

前半は、ボーシャがライオンや大蛇のような危険な動物に果敢に挑んで生きる術を学んだ経緯がリアルに描かれていて「その度胸はどこから!?」とまず驚かされます。

しかし中盤以降は動物ではなく、ボーシャと現地の民族たちとの交流がメインストーリーになっていき、さらにグイグイと彼の人生に引き込まれました。

詰まる所この本は、アフリカという”後進”とされてきた大地が実は文明をリードしていたという可能性について、そして、呪術や魔術という科学と相容れない(と多くの人が思っている)ものがアフリカの人々の生活に欠かせないという事実について、ボーシャの体験を通じてつぶさに教えてくれるのです。

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とっさに思い出したのは、ドラえもんの長編『のび太の魔界大冒険』に出てきた一言。

「魔法が使える」パラレルワールドにのび太たちが行く、という物語で、そちら側の世界のしずかちゃんがのび太に向かってこんなセリフを言うのです。

「科学なんて迷信を信じてるの?この魔法文明の世の中に。」

科学と魔法が戦った結果、魔法が勝った世界。そこでは科学が”迷信”と片付けられてしまっていた。

でも、現実のしずかちゃんならこう言うはず。

「魔法なんて迷信を信じてるの?この科学文明の世の中に。」

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今の私たちが生きている世界は「科学=常識」で、魔法や占いの類いは一般的に眉唾物扱いされています。「○○の母」なんて占い師がいくら流行しても、「結局は当てずっぽうにそれらしいことを言うのが上手いんだよね」と冷静な人は評価する。超能力の正体も偶然やトリック。全ての背後には科学があり、科学で説明できないものはない、もしくは今は説明できなくてもそのうち必ず解明される。

そのように科学が大前提であることを、私自身一度も疑ったことはありませんでした。一ミリたりとも疑う余地のない教育をされてきたし。

……ですが、この本に出てくるアフリカの民族は、明らかに科学とは一線を画す習わし……例えば事件の犯人を当てるために占うとか、雨を降らすためにドラムを叩いて儀式をするとか、そういうことを本気でやっています。

アフリカでは、その二者(注:科学と呪術)を区別するのは困難、または不可能である。いずれの考え方も、原因が結果を生むという信条に基づいて進む。聖なるドラムの群れに大地の血による洗礼を与えて叩くと、雨が降る。我々(注:現代人)は、そういった因果関係を疑うように教育されてきた。ドラムを叩いたぐらいで雨が降ることも、何かを望むだけでそれが実現することも、ありえないと「知っている」はずだ。しかし、はたしてそうなのだろうか。
ーp.318

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ドラムを叩いて、天に祈り、雨が降った。と聞いてもすんなりとは受け入れられませんが、「この現象をどう否定できるか?」と考えてみると、自分には因果関係を否定することができない、という結論に至りました。

ドラムの音色で雨を降らすという「呪術」は、我々が信じる気象予報より当たる(雨が降る)確率が低いでしょう。でも、もし雨が降ったときの因果関係は誰にもわからないので、完全否定はできない。

一方で「科学」の気象予報は、かなりの確率で当たりますが、外れることもある。科学は「経験則を用いて予測する仕組みを、いかにもそれらしく作っているだけ」とも言えるんじゃないかな、と。


だとしたら、科学と呪術にそこまでの白黒をつけるべきなのか。一方が成立した時に、もう一方が消えるようなものなのか。

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結局のところ、こういうのは「神のみぞ知る」と一言で片付けられてしまうような事象で、正解は闇の中です。私たちは誰も真理とやらに辿り着けないし、辿り着いてもそれが真理だと確信する術がない。

でも人類は、科学を突き詰めて、なんとか世界を文字通り明るく照らしていこうと必死です。その先に何があるのかな?と、この本を読んで疑問に思いました。

私たちは、なぜ、どこに辿り着くために、すべてを解明しようとしているのでしょうか?

最大限の宇宙の果ても、最小限の量子やらクオーツやらも、アフリカの奥地も、深海の底の暗闇も……理解していない所はとにかく無くしたい。説明し切りたい。それはなんのためだろう?

より良い世界へ、より良い暮らしに、より良い医療を……そう努力してしまうのが人間の性(さが)かもしれません。でも、アフリカの人々の原始的な暮らしについて読むと、暗い部分つまり明らかにされない部分を有しているという感覚こそが、私たちの心を楽にしてくれるんじゃないか、と感じました。

日照りが続いて、辛い。そこに雨を降らすドラムが見つかり、みんなで叩いて儀式をする。何日かしてやっと恵みの雨が降って、みんなで大喜びをする。……理屈や構造は何一つ説明できず暗闇に包まれているストーリーだけど、それじゃだめなんだろうか。彼らの精神は実に幸福そうだと、私には思えました。


なんだか人類は自分で自分の首を締めにいってるよな、とうっすらと不安がよぎります。個人のちっぽけな力では何もできないけれど、自分の子どもや孫やその先の世代がどうなっていくのだろう。この進化は、果たして幸福に向かっているんだろうか……。


散漫な文章になってしまいましたが、おすすめの一冊です。

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www.anyplacebut.tokyo