ここではない、どこか遠いところ

旅行記と、日々考えること

故郷への想いの軽重

修学旅行といえば思い出はひとつ。

高校2年生の時、二泊三日で沖縄に行った。片田舎の高校生にとって沖縄なんて超絶ハイカルチャーな地だった。

で、修学旅行や遠足といえば?

女子にとっては「私服を選ぶ」という死活問題がある。これがもうメインイベントと言って過言ではない。

しかし片田舎なので洋服屋がマトモになく、みんながみんな駅ビルのとある店で買い物をしていたから、服が必ず「かぶる」のだ。

あー、あの服売ってた売ってた。

そんなのが日常。

自分も服を必死で選んでコーディネートを考えた、そればかりを強く覚えている。



故郷を離れてはや13年…くらい、だろうか。

当時の私の頭には「東京に行く」しかなかった。

東京に全てがあると信じていたわけではない。親が嫌いだったわけでもない。でも、故郷の地を離れるということは疑いようのない未来だった。


故郷が好きか?

と聞かれれば、「あまり好きじゃない」と言うしかない。

でも別に故郷を憎んでいるとか、恨みがあるとか、そういうことじゃあない。

ただ「あまり好きじゃない」、それだけ。


そんな私の心の声を代弁してくれた一節(以前も紹介したけれど)。

世の中には故郷にたえず引き戻される人もいるし、逆にそこにはもう戻ることができないと感じ続ける人もいる。両者を隔てるのは、多くの場合一種の運命の力であって、それは故郷に対する想いの軽重とはまた少し違うものだ。
村上春樹『辺境・近境』p.224

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故郷があまり好きになれないというのは、なんていうかもう隣人の顔が好みかどうか、みたいなもので、そこに深い意味はない。

私がそう思えたのはつい最近のことで、少し前までは「故郷が好きになれない自分って悪いやつ」と思い、悩んでいた。

だってまわりの友達が尽く故郷のこと嬉しそうに話すから。



正直もう、故郷のことは見たくもないし用がなければ行きたいとも思わないし、特に素晴らしいところが見つからないし、なんていうか、何とも思わない。

もちろんまだ両親が住んでいるから時々行くけれど、住んでなければ確実に行かないと思う。


でもどうかそう言っている人を非難しないでください。

深い意味があるわけじゃなく、肌に合わなかっただけかもしれないから。

いまいち好みじゃない人と一緒に暮らさなきゃいけない理由なんてないでしょう。




今週のお題「修学旅行の思い出」ということで書きました。

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