ここではない、どこか遠いところ

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「二番目からは美しい」という言葉を知っていますか?

…と質問しつつも、実際にこの言葉を知っている人はほとんどいないだろうと思う。

なぜそう思うかというと…Googleで検索しても全くヒットしないので
(ちなみにヒットするのは『世界で二番目に美しい数式』という本、これはこれでとても面白そう)

建築家、池辺陽のことば

「二番目からは美しい」という言葉は、池辺陽(いけべきよし)という建築家の著作に登場しています。
池辺陽 - Wikipedia
東大工学部で教授として建築を教え、自身も東大の出身。

今回は彼の作品の話を深追いするつもりはないのでそのへんは割愛して、タイトルの言葉についてですが、以下の本にこんな一節があります。


「二番目からは美しい」ということばは、ピカソによって語られた。彼によれば、真の意味でクリエイティブな作品がつくられるプロセスでは、ある意味で美しさという概念は独立しては存在し得ない。だがそれによって作品が生まれ、それを多くの人が見て美しいと感じたとき、その次につくられる作品では、その美しさをみずからの作品に取り入れるようになるプロセスを、皮肉に語ったものといえる。美しさを目標にしたデザインは、彼によれば、クリエイティブではないという意味である。
『デザインの鍵』p.91

…ということで元々はピカソの言葉らしいけれど、その出典はわかりません。

本を読んで受け取った時から今まで、この言葉はずっと私の心の奥底にあり、語りかけ続けてくるように感じる。そしてそれに対する自分なりの答えはなかなか出ない。

芸術は美しくてはいけない?

「二番目からは美しい」という言葉を自分なりに解説してみます。

芸術家が一番目、つまり初めてその作品をつくるときには「美しいものをつくろう」と思ってはいない。いや、思ってはいけない。

芸術の第一の意義は新しい世界を自分自身の中から生み出すことである。

そういった芸術は新しいがゆえに、世間に評価される場合もあれば受け入れられない場合もある。

運良く世間に評価されたとき、芸術家はその評価に満足し、「もう一度つくろう」と思うだろう。

二番目につくるその作品は、もはや新しくなく、ただ美しいのみである。「美しい」と評されることを芸術家自ら知ってしまったからだ。

そしてそれは創造性をもった芸術ではない。

これが私なりの解釈です。


わかりにくいのでブログに例えてみよう

「芸術」という言葉を聞くと無条件にアレルギー反応が出て思考が停止してしまう人もいると思うので、ここは「ブログ」に例えてみます

ある日、こんなことを伝えたい、書きたい!という想いがフツフツと湧き上がり、ブログに書いてみた。

それがなぜかバズってしまった。

ただ書きたいという一心で書いただけだったのにな、と思いつつも、「なるほどこういうことを書くとウケるのか」と心得てしまう。

次からその人は「ウケるブログ」の法則に則って記事を書き、狙い通りアクセスを増やした。

そのブログはたしかに面白いが、もはや作者の魂の発露ではない。

なんかこれ大真面目に書いてる自分大丈夫か…という気もしないではないですが。

※ちなみにここでは「収益を目的としないブロガー」を前提とします。収益を目的とするブロガーはまた別ジャンルなので。


お笑い芸人だってそう。「あ、これウケる」と思ったら使い倒しますよね。明石家さんまだって「あ、引き笑いしたらみんな笑ってくれる」って気づいちゃったからやってるに違いない。

でも、芸術家やブロガーとお笑い芸人の間には大きな壁がある

ここで私が思いつきで走り書きした図解を…(汚くてすみません)。

まず左の芸術家というのは、自分にしか作れない新しいものとか魂の叫びとか時代を変えたいとか、いろいろ考えて作品をつくる。それが「クリエイティブ」で「創造性」のあるもの。で、世間がそれに対して「美しい」と評価を下すと、売れる。

ブロガーについても、伝えたいことを自分なりの言葉で書いてみたい、と思って書く。世間がそれに対して「面白い」(いい話)と評価を下すと、アクセスが増える。

いずれにも共通するのは、純粋な動機が結果と切り離されていること。「美しい」あるいは「面白い」というのは目的ではなく、結果として得られる評価なのです(そうあることが本来は理想的なのです)。

一方、芸人というのはどうだろう。

彼らは「面白いことを言おう」と思って常日頃生きているはず。笑ってほしい、そのためには面白いことを言う。シンプルな構図。だから「面白くありたい」という動機によってできたネタと「面白い」という世間の評価が一致するとき、売れる。目的と結果に齟齬がない

これはビジネスとして何ら特別でない構図だと思うし、面白いことを言おうと思っている芸人が非難されることはない。

芸術家という職業の苦しさ

だから芸術家って難しいんだな、と感じるのです。

収益を目的としないブロガーならまだいい。だって、アクセスが増えて嬉しいかどうか、だけだから。

芸術家は職業なんです。本来は稼がないといけないから「売れる」ものを作る、というのがビジネスの構図なはずなのに、「売れるもの(美しいと評されるとわかっているもの)を作ってるお前は純粋な芸術家じゃない」とか言われかねないのだから…。

現実として業界(?)全体にそのような価値観が蔓延しています。

芸術は「新しい」べきか?

難しい話だけれど、要するに「芸術って何なの?何をもって芸術と呼ぶの?」という疑問が、ずっと以前からあります。

一般的な感覚でいうと「え、美しいだけじゃだめなの?」となるかもしれない。でも、確かに「それだけじゃだめだよな」という想いも自分の中にはある。もし芸術が「美しさ」を目的としてよいのなら、とても精巧に描かれた美しい絵はすべて芸術なのでしょうか?私はそう思わない。

芸術は新しくあって欲しい、と思います。

なぜかというと、芸術が新しい価値観によって世界を引っ張ることを放棄してしまったら、文明の一部分が確実に進化を止めてしまうような気がするから。それくらい芸術の力に期待しているとも言えるけれど。

じゃあ「新しくて美しいものを作ればいいじゃない」と思われるかもしれない。ざっくり言ってしまうと、すでに美しいという価値観ができているものは新しくないのです。

例えばピカソの後半の作品は、一見すると「何これ?」です。まぁこれが美しいかどうかは正直言ってわかりづらい部分もあるし、だから「芸術わかんねー」って思う人が多いんだと思うけど、実際に彼のわけわかんない絵は芸術ひいては文明のフェーズを一つ上の段階に上げた。見る人によっては「美しい」と評価され、「なるほどこんな表現もあるのか!」と目を覚まさせる、それこそが「新しい」ということではないか…と私は思うのです。今の私たちにとってピカソが過去の人物だから、彼に続く芸術表現をすでに当たり前のものとして見ているから、その意義がわかりづらいのだけれど、歴史を変える力を彼の芸術は持っていたということです。

でも「新しい」ものの追求は大変。

自分自身の奥底に眠る感性を引っ張り出して新しいものをつくるって、大変なこと。だから芸術家はときどき病みます。

しかも、売れるものをつくるという行為が良しとされないのは、職業として成り立たない。

いや〜、やっぱりパトロン制が正解ですかね?

ちなみに私は芸術家ではないけれど、美大を出ているのと建築(一応、芸術の一部)をやっているので無関係でもなく、ずっとこういうことをモヤモヤ考えています。事実、自分も「新しいこと、新しいこと」と考えて病みがちだった時期があり、今は「美しいこと、美しいこと」と考えているので心が安定している気がします。

でも「お前は芸術を放棄したな?」と言われるのが怖い、という気持ちが、たぶんどこかにあるのかなぁ…。

でも、美しいものも欲しい

なんだかんだ言って…美しいものを私たちは求めている。美しいものに囲まれていたいし、突飛なものは必要じゃないと思うときが多い。

だからまたここに戻ってしまう。

「芸術って何だろう?何をもって芸術とし、誰のために存在するのだろう?」

最後にもう一度

この本自体がとても古く、いまは絶版でほとんどの図書館にも置いてないと思います。私は大学時代に偶然図書館で見つけて読んで、とても感銘を受けたけれど、手元にはない。欲しいんだけど高くて足踏みしているところです。

でも偶然見つけてしまったら、読んでみてください。他にも示唆に富む言葉がたくさんあるので。内容としては一応建築の本です。