ここではない、どこか遠いところ

旅行記と、日々考えること

結婚するとアイデンティティーの半分が失われてしまうかもしれない

以前も書いたけれど、私は下の名前がちょっと変わっている。

少なくとも今まで生きてきて同じ名前の人に会ったことがないし、同じ名前の人が存在するという話も聞いたことがない。

名字もまあまあ珍しかったけれど、こちらは多くの人が耳にしたことがある名字で、初対面でも通じる。


ちなみに名字と名前を組み合わせるとかなりインパクトがあるようで、かつて大学のゼミの合格発表が貼り出されたときに

「みてみて◯◯◯◯◯◯だって!」

と指をさされていたことがあったりして(ちょっと傷つく)、そんなに珍しいかな?と長いこと不思議に思いながら生きてきた。

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実は今日、一級建築士の免許証を受け取りにいってきた。今年の3月くらいに「できたから取りに来てよ」とハガキが来たのだけど、平日でないと受け取れないから放置してしまった。

一級建築士試験については運良く合格できたまでだから詳しくは書かないけれど、基本的に孤独な戦いだったのでビリケツくんという人のブログを読んだりしていた。

直接の面識はないし勉強会とかに参加もしてないけれど、勝手に読んで「ふむふむ」と参考にしたり、ちょっと励まされたりしていた。単純に話が面白いので息抜きに。

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で、何が言いたいかというと…

免許証には、結婚後の新しい姓が印字されていた。

珍しい名前のいい面・悪い面を体感しながら生きてきた私が、珍しい名前でよかったな〜と30年間で最も感じたのは、「(結婚などで)姓が変わってもアイデンティティーが保たれる」という点だ。あ、30年じゃなくて31年か。無意識のうちにサバを読んでしまった…


私の結婚後の名字はかなり普通。

でも、名前が珍しいから、たぶんすぐに同一人物だと認識してもらえると思う。

これは仕事をするうえで、特に自分の名前を売って活動していくような作家、アーティスト、研究者などなどには重要な話ではないかと思う。

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以前ヤフーニュースでこんな記事を読んだ。

結婚して名字が変わり不便、という話になると「仕事では旧姓使えば問題ないんじゃない?」という意見が出ると思う。

私もそんなふうに軽く考えていた。

でも実体験は違った。この記事を読んで「ああ、やっぱり自分だけじゃないんだな」と思いホッとしたのだけれど、結婚して職場で旧姓、私生活で新姓、と使い分けるのは自分がひとつじゃなくなるようで案外疲れる

例えば宅急便に受け取りサインをするとき、家では新姓を、職場では旧姓を、としている。別に宅急便のサインなんて誰も見ないから統一してもいいんだけれど、旧姓で仕事をしている職場で新姓を使うのには違和感がある。

意識としてはもう新姓で生きていこうと思っているのに、ときどき旧姓に引き戻されると「あ?あ、あぁ…」みたいな蹴つまずくような感覚。名前を聞かれたときに「あれ、今仕事?今プライベート?」といちいち自問自答しなければならない。

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だからいずれ今の職場を離れたら、新しい名字に統一しようと思っている。

その時、自分の名前が珍しいという恩恵にあずかれる気がする。アイデンティティーが失われず仕事ができるというのはとても有り難いこと。

仮に(あくまで仮に)私が何かしら有名になったとして、その名前を見たとき「あの人」って思ってもらえる。昔の自分と今の自分を結びつけてもらえる。

もし名前が珍しくなかったらそうはならず、名字を変えたらゼロからのスタートのような気がする。

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…こういう話を男友達にしたら「名字が変わっても支障ないくらい頑張ればいいんじゃない?ユーミンだってそうじゃん」と言われた。

いやいや。

日本中で一体何人がユーミンの領域にたどり着けるんだよ。

名字が変わるということは、それまでの20年なり30年なり40年なり…の人生で築いてきた「自分」というアイデンティティーの半分近くが失われてしまうに等しいと思う。

匿名性の高い仕事をしていたら関係ないかもしれないし、自分の名字があまり好きじゃなかったら逆に嬉しいというのもあるかもしれない。でも、一人で名前を出して活動したいと思う人にとっては、けっこう大きな変化なんだよ。というのは意外と理解されないのかもな〜と、思った(実際に私も、体験するまでよくわからなかったから)。

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…で、何を言いたかったかというと。

キラキラネーム否定派(自分はキラキラネームのくせに)で、子どもにはシワシワネームのほうがいいわぁと常日頃から考えてきたけれど。

キラキラっていうか珍しい名前にすると、結婚したりなんだりで名字が変わったとき、感謝されるかもしれないよ!

アイデンティティーの損失も四分の一くらいに抑えられるかもしれない。

という意見を、実体験から述べてみました。



▷写真に深い意味はありません。


▷まだ名前を覚えてもらえているのかしら。