ここではない、どこか遠いところ

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ヴィガンタスさん

ヴィガンタスさんに出会ったのは、香川県にある猪熊弦一郎現代美術館だった。

職場の旅行で訪れたこの美術館(略称をMIMOCAという)は、門型のファサードと屋外にそびえ立つ大きなオブジェ、手前に広がるすっぱり空の抜けた広場が特徴的だ。

丸亀駅を降りて目の前にあるその広場は、正直な感想を言うと、少しさびしい。スケール感が外国的なのだ。外国の駅を降りるとたしかにこういうスケールの広場があって噴水がある、でも日本の片田舎ではちょっとこれ違うな、という感が否めない。しかもドライで、並木や花壇があったり水が流れているわけではないのが余計にさびしい。

まあでも、その広場の印象がこれだけ強く残っているから、ほかの駅や美術館と差別化されているとも言えるんだろう。


ファサードに向かって左側の、間口が3、4mはありそうな外部階段。外部といっても屋根がかかっていてほの暗く、トップライトから差し込む光がかろうじて道を教えてくれる。階段を一層分上がると踊り場がある。そこから先は間口がぐんと狭くなり、遠くへ抜ける視線をあえて遮ろうという意志が(おそらく)感じられる。

3階まで階段を上った先はアトリウム、屋根のない広場だ。猪熊弦一郎の彫刻作品と、対面して、カフェがあった。

このカフェがなかなか洒落た雰囲気でおすすめなのだけれど、それは今回は置いておこう。カフェに入ってすぐのショーケースにヴィガンタスさんはいた。いや正確には、ヴィガンタスさんの作った鳥笛があった。

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リトアニア出身のヴィガンタスさんがつくる陶器の鳥笛は、ツヤのある黒い釉薬をベースに、白く盛り上がった水玉が散りばめられ、足と尾だけ釉薬がかからず土色でざらざらしている。白い釉薬でぎょろっと描かれた目玉がおどけた表情を生み、見るとなかなか忘れられない。

手のひらにちょこんと乗る、小さな黒いツヤツヤの鳥、一応笛なので吹ける。そんなシンプルな工芸品だ。お値段は三千円。

「かわいいな」と思いつつも最初は通り過ぎた。しかし展示を見てミュージアムショップ(カフェとは別)を物色して、さあそろそろ帰るか……というところで、やはりどうしても忘れられなかった黒い鳥。職場の人に隠れて(別に悪いことをしているわけではないけれど、可愛いものをすぐ手に入れたくなる習性がどこか恥ずかしく)ダッシュで買いに行き、割れないように大事に手ぬぐいにくるんで、ショルダーバッグに忍ばせた。

この上ない幸福感だった。猪熊弦一郎、全く関係ないけれど。

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東京に戻ってきてしばらく経ったころ、自由が丘のIDEEで、見覚えのある黒地に白い水玉模様を見つけた。草間彌生よろしくやや病的な水玉で埋め尽くされたのは、鳥笛ではなく大きな花瓶だった。もしや……と思い札を覗き込むと、「リトアニア ヴィガンタスさん」と書かれていた。

ヴィガンタスさんの作品が当時(そして今も)どれほど日本に販路をもっていたのか定かではないが、自分が香川県でたまたま目をつけたヴィガンタスさんが東京で売られていることが、なんとなく「やったぜ」という感じで誇らしかった。

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それからまた半年ほど経ったある日、神宮前の大きな交差点にある「パズル青山」というビルの2階の雑貨屋で、また出会った。ヴィガンタスさんに。もう、ひと目見れば彼とわかる。

「あ、ヴィガンタスさんだ!」

反射的に叫んだ私に、女性の店員さんは

「知ってるんですか!?」

と驚いて言った。どうやらヴィガンタスさん、まだ日本ではマイナーな存在だったらしい。

私は、猪熊弦一郎現代美術館で出会った鳥笛のことやらなんやらを話した。店員さんはヴィガンタスさんと直接の面識があるらしく、彼がたいそうな子煩悩であること、教育活動にも力を入れていることなどを教えてくれた。

地方のミュージアムカフェですんでのところで手に入れた小さな鳥笛が、後々こんなに展開をもつとは思ってもみなかった。

そもそも驚いたのは、呪文のように「ヴィガンタス」という名前を覚えていたことだ。普段は名前を覚えるのが大の苦手な自分には珍しい。しかも「ヴィガンタス」ってなかなかに複雑な、馴染みのない名前ではなかろうか。

高校の授業で「アウストラロピテクス」を初めて習ったときや、つい最近知り合いの子供に「アノマロカリス」が好きだと教えられた時も、なんの脈絡もない……と言っては失礼だが、単語として構成要素の分解もできないし込められた意味もわからないし、という名前が、なぜだか覚えられてしまった。「ヴィガンタス」さんも私にとってはそういう名前だった。

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人はどうやって名前を覚えるんだろう。

というようなことをふと夜道を歩きながら考えていて、ヴィガンタスさんのことを思い出した。

たとえば足利義満と足利義政の違いをおもうとき、「満」のなんとなくふっくらとした充実していそうな感じ、「政」のなんとなく厳かで神経質そうな感じ、などを(私は)イメージしないと覚えられない。もしくは、誰か別の人物に結びつける場合もある。「足立さん」だったら「あだち充」をイメージする、とかそんな具合だ。脈略はないけど、とにかくビジュアルイメージをつくらないと覚えられない。

でも、「ヴィガンタスさん」のように、記号的にすんなり覚えられる場合もある。

それはもしかすると、ヴィガンタスさんの独特な作風によるところが、大きいのだろうか。その作風と名前がばっちしはまっているから、つまり彼の名前は即座にビジュアルイメージを生み出してしまい、こちらに与えてくれるのだろうか。私が長年をかけて作り上げたあだち充との(一方的な)関係を、ヴィガンタスさんは一瞬で作れる人なのかな。


まぁそんなどうでもいいことを考えながら、今日、2年ぶりくらいに鳥笛を吹いてみたら、意外とはっきり音が鳴ったのでホットカーペットの上で寝ていた猫もびっくり。ヴィガンタスさんは何を思い、この鳥を生んだのだろう。ていうかこの黒い鳥、なんの鳥だろう。まさかカラス?リトアニアって、どんな国なんだろうか。


特にヤマもオチもない話でした。もし気になったら「ヴィガンタス」で検索してみてくださいね。