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死刑は「正しい暴力」なのだろうか|『死刑 その哲学的考察』萱野稔人

2018年7月6日、そして7月26日。合わせて13名のオウム真理教死刑囚に、死刑が執行された。

そのニュースは日本にとっても世界にとっても衝撃的だったと思います。

個人的にも、もちろん驚くべき出来事でした。これまでの経験上「死刑」というものが実際に執行されるかどうかは法務大臣次第という事情もあって、そう頻繁でないと思っていたし、ましてや一つの事件についてこれだけの人数が同時に、という事態は予想できませんでした。


でもそれ以上に驚いたことがあります。

26日、昼前に死刑執行のニュースを知りました。その時私は仕事で外出中だったのですが、外出先で、仕事の関係者から聞かされて知ったのです。

「オウムが全員死刑になった!」

と。

それは、否定的なニュアンスではなく、どちらかというと…いや確実に、肯定的な言い方だったと思います。

私は、どう反応していいかわかりませんでした。なぜかというと、オウム真理教の一連の事件について、実を言うとそこまで実感がわかないからです。

事件が起きたのはまだ私が幼かった頃。当時、麻原彰晃の歌が流行っていたりと、オウムという宗教団体自体について認識はしていたものの、地下鉄サリン事件などについて「それが何を意味するのか?」と考えることはできませんでした。地下鉄という存在すら見たことがなかったのです。

だからオウムについて漠然と「すごい事件だった」と捉えて生きてきたものの、死刑が執行されてよかったとも悪かったとも思えませんでした。そんなに強い憤りは私には持ちえなかったというか。


そして、さらに驚いたことがありました。

死刑執行を知った後、電車移動中にYahoo!ニュースで死刑執行について調べていました。当然のことながらそれはトップニュースになっています。

そのコメント欄を見て驚愕したのです。

「この法務大臣は偉い」
「立派なことをしたと思う」
「歴史に名の残る人だ」
「勇気ある決断だった」

などと、上川法務大臣による死刑執行に肯定的なコメントばかりが上位にありました。(Yahoo!ニュースのコメント欄が偏っていることは承知しているけれど、それはとりあえずおいておくとして)



死刑」とは、それほどまでに日本人にとって喜ばしい制度であり行為なのだろうか…?



私の頭はそんな疑問でいっぱいでした。

これまで死刑について真剣に考えたことがなかったので、自分が死刑に賛成なのか反対なのかすら、わかりませんでした。死刑は物心ついた頃には当たり前のように存在していたし、かといって、なんとなく野蛮な処罰の仕方である気もうっすらしてはいました。

それは映画『グリーンマイル』が与えたイメージが自分にとって強烈だったせいもあるかもしれません。

(もちろんこれはアメリカ版の死刑なので、日本とは全く執行方法が異なるのですが)


とにかく知識がなさすぎて、思考することすらできない自分が悔しかった。

で、いてもたってもいられず、この本を買いました。

単純に、Amazonで「死刑」と検索してきたらこの本が引っかかったので、その場ですぐ注文しました。

発行が新しく評価も高かったから。という理由もありますが、そもそも私は「死刑賛成」とか「死刑反対」の論説が聞きたいのではなく、「死刑とは?」という根源的な疑問に対する中立的な立場での解説を求めていたので、まず読む一冊としてこれが最適だと思いました。結果として、この選択は正しかったと思います。

ちなみに、他に出てきた検索結果は以下のようなもの。

死刑について考える第一歩として良作

『死刑 その哲学的考察』はとても読みやすく平易に書かれた哲学書で、一日で読み終わってしまいました。

哲学書なんて普段読まないし、往年の哲学者の思想をほとんど理解していない私でも読めました。部分的に難しい内容があっても解説がわかりやすいです。読者を置いてけぼりにしていくことのないよう慎重に理論が展開され、素晴らしいと思いました。かなり読みやすい部類だと思います。


何を考えればいいかすらもわからずモヤモヤしていた私ですが、読み始めて2ページ目にして「『死刑』という制度について何を思考するべきなのか」をすんなりと知ることができました。

人の命を奪うことは暴力の一つの究極的なかたちである。そうである以上、死刑の問題は私たちに「正しい暴力」「許される暴力」についての究極的な問いを突きつけずにはいない。(中略)人類はこのように暴力を「正しい暴力」と「正しくない暴力」に区別することで、みずからの社会を維持してきたし、またそこで生じるさまざまな暴力を管理しようとしてきたのである。
―p.12

なるほど、死刑というのは一つの「暴力」なんだ。そして、そう言われてみれば確かに私たちは、「いじめ」「自殺」「尊厳死」「戦争」「拷問」「虐待」など、暴力(や殺人)という大きなカテゴリーの範囲内で「正しい」「正しくない」という議論を続けている。それらは非常に難しく、かつ根深い問題で、時代や民族や宗教、さらに個別の状況によっても「正しい暴力かどうか」が変わってしまうと思います。

一般的に、「暴力」という言葉の響きには「正しくないものや良くないものだ」というイメージがつきまといますよね。だから日常生活では「正しい暴力」なんて言わないと思います(そんな言い方をするとDVを正当化してる人みたいな印象……)。

でも、死刑は「人を殺す」という行為だから、それは広い意味での暴力に違いないだろうし、死刑を肯定するということは「死刑が正しい暴力だ」と言っていることになるわけなんですね。またその逆も然り。

「死刑は正しい暴力といえるかどうか?」

これが、この本で答えを出そうとしている問いになるのでしょう。


また直後、著者はこのように述べています。

哲学はしばしば抽象的な議論を振りかざすことで、賛否が対立している問題に対してみずからの立場をあいまいにすることがある。逆の立場から批判されることを恐れるからだ。死刑の問題においてはそうした逃げは許されない。これが本書のスタンスである。ただし本書は、死刑に賛成か反対かという問いに答えようとするからといって、決して「結論ありき」の議論をするつもりはない。
―p.13

そうそう、哲学って「で、結局どうなの?」というところを曖昧にされるイメージがあって、モヤっとするんですよね。だから、冒頭で「結論を出す」と断ってくれたのは、読み進めるうえで気分が楽でした。

なぜ、人を殺してはいけないのだろうか?

その後の議論は、かいつまむと以下のように展開されます。

まず、「死刑は文化だ」という肯定は適切かどうか。文化相対主義と普遍主義という対立する考え方を軸に考える。
  ↓
次に、池田小の殺人事件の犯人が死刑を希望して罪を犯した(そして結果として死刑になった)という例をあげ、「死刑という制度が逆に犯罪を助長しかねないのでは?」「死刑に犯罪の抑止力があるかどうか」という問題点を探る。また終身刑という制度についても触れる。
  ↓
そして、「道徳的に死刑の是非を考えられるか?」という議題を、カントの理論を軸に展開(ここが一番肝心なところでかつ読みづらいところかも)。
  ↓
さらに、「公権力が死刑を執行することによる問題点」について。ここで、筆者の結論が提示される。
  ↓
最後の章は補足のような感じ。


一番議論が盛り上がりを見せるのは、カントの「定言命法」と応報論から死刑の道徳的な是非を考えるところだと思いました。

カントの定言命法ってどんな内容か知ってますか?

私は恥ずかしながら全く知りませんでした。

哲学に難解なイメージをもつ人って多いと思います。

私自身、高校のときに倫理で一通り習ったけれど、それは「この人はこう言っていた」の羅列みたいな感じで、結局ただの暗記だから全然頭に入らず。「カントは定言命法というものを唱えた」みたいな。まぁ社会の先生も片手間にやってる程度で、全ての思想を理解なんて絶対してないよな〜と、今なら思うんですが(授業終わったあとに質問に行ったりして申し訳なかったな〜とか。笑)

かと言って、自分で岩波文庫とか読んでも難しすぎて全然理解できません。

というわけで私個人としてはあまり得意じゃない分野なんですが、この著者の解説はとてもわかりやすくて、カントの思想の概略までつかめてちょっとお得な気分です。


この部分の導入は、「『人を殺してはいけない』という道徳をめぐって」という章から始まります。

私たちは当たり前のように「人を殺してはいけない」と考えます。では、それはなぜですか?と問われたらなんと答えるでしょうか。本書では以下のような答えにパターン化される、と述べています。

1「かわいそうだから」
2「悲しむ人がいるから」
3「自分がされたくないことを他人にしてはならないから」
4「誰も他人の命を奪う権利をもっていないから」
5「秩序を守り、社会を存続させるため(殺人を許したら秩序が崩壊し、社会がなりたたなくなってしまうから)」
6「同種の個体を殺すのは人間だけだから」
―p.130

これらはいずれも、的はずれな答えか、ただの言い換えか、もしくは「仮言命法」になっていると著者はいいます。

「仮言命法」とは、「Aだから、Bしてはならない」という論じ方です。それは、「Aじゃなければ、Bしてもいい」と暗に行っているようなもの。

例えば2の「悲しむ人がいるから人を殺してはいけない」は、「悲しむ人がいなければ(天涯孤独のような人なら)殺してもいいのか?」とすぐに反論されてしまう。

でも、「人を殺してはいけない」というのは、そういう条件付きのものじゃないですよね。もっと絶対的に守らなければならない道徳です。

定言命法」というのは、その「〜だから」がない命題です。つまり、ただ単に「人を殺してはいけない」んだ、ということになります。カントは、道徳というのは「〜だから」という根拠がないからこそ絶対的で普遍的に従わねばならならないものだ、と考えたのです。


では、定言命法をバックアップする理論とは?さらに、「人を殺してはいけない」という絶対的な道徳の例外としての「死刑」の立ち位置はどうなるのか?

続きの議論はぜひ本を手にとってみてください。

死刑制度について思考する土台をつくる

結果として出された結論に100%「たしかに!」と思えるわけではありません。でも、そもそも100%納得のできる答えはありえない問題だと思うから、それは仕方のないことですね。

この本を読むことによって得られるのは、自分が死刑に賛成か反対かを裏付ける理屈だけではないと思います。著者は結論を出しているのでそれに乗っかることもできますが、あくまで「死刑制度について思考する土台」を得ることができる、というのが一番大切なことかと。

結局のところ、死刑に対する議論というのは非常に感情に頼るものになりがちです。もちろん、被害者の感情、加害者の感情、世間の感情を無視することはできませんが、感情という数値化できないものに基づく議論をしていると決着が難しい。それでは喧嘩みたいになってしまいます。

私たちは社会の構成要素として存在する以上、社会が納得できる議論を、感情論を超えたところめ展開しなければいけないだろうと思います。

「全ての人が納得することは不可能な状況で、最良の選択とは何か?」

という思考が「哲学的考察」なんだろうな、と。

著者も、できるだけ公平でドライな(本人風の言い方では「ナイーブでない」)結論を提示しています。そういう意味ではしっくりくる論理でした。

なぜ「日本では死刑」なのか?

でも実は、この本を読んでも私の疑問はほとんど解決されませんでした。

死刑について考えるための土台ができたことはよかったけれど、私が知りたかったのはもっと別のことだったんだろうな、と読んでいて感じたのです。それは、

「なぜ日本人がここまで死刑に固執するか?」

という疑問です。


この本では、死刑に対する考え方が民族や文化によって異なることを認めているけれど、その理由には踏み込んでいません。この本ではそういうウェットな考え方を排除していることに意味があると思いますが、自分はそこが知りたいんだなと気づきました。


個人的に新しい発見だったのは「終身刑のほうが実は苦痛ではないか」という事実です。

ヨーロッパが日本の死刑を非難しているけれど(EU加盟国は死刑制度を禁止されている)、終身刑の国だって別に残酷な刑罰を全くしていないわけじゃないんですね。身体に対して行うか、精神に対して行うか、という違いで。でももちろん「死」「殺す」という絶対的な暴力はイメージとして強いので、一般的には比較すると終身刑のほうが「おだやかな」印象になっているのだと思うけれど。

じゃあ、仮に終身刑が死刑よりも犯罪者に苦痛を与えるというアピールがされたとして、日本は死刑を廃止するか?と考えると、そうならない気がします。日本人は苦痛がうんぬんとは別の理由で「死刑」を望むのではないか、と思うのです。

それは「切腹」や「特攻」のような、日本人ならではの死に対する価値観に共通するのではないでしょうか。


なぜ、日本人は表面的には穏やかな民族でありながら、死に対して貪欲なのだろうか?というか、逆に感覚が鈍いのだろうか?よく言われるように日本人は死というものを遠い存在ではなく、生と非常に近い位置に見ているのだろうか。

そのへんが最も気になるのですが、これは社会学、民俗学の領域なのでしょうか。

興味深い一節があります。

「気持ちがおさまらない」のはなにも被害者やその家族だけではない。多くの人にとっても死刑でなければ「気持ちがおさまらない」のだ。その証拠に、多くの人は「(死刑でなければ)被害者や家族の気持ちがおさまらない」といいつつも、犯罪被害者の家族をどう救済するのかという問題にはそれほど関心を示さない。(中略)つまりそこにあるのは、被害者や家族のためを思った死刑肯定論というよりは、みずからの処罰感情を「被害者や家族の気持ち」に投影した死刑肯定論なのだ。
ー p.284

身も蓋もない言い方をしてしまうと、死という決着をもってスッキリと終わらせてほしい。ただの他人であるはずの世間が、そう思っているのではないでしょうか。

では、死刑に賛成か反対か?

私は、この本を読んでもまだ「賛成」「反対」とハッキリ言えるには至りませんでした。でも、著者の論理展開には納得できる部分が多かったので、今の時点では著者と同じ意見になっています(結論は読んでから知ったほうがいいと思うので、伏せておきます)。

ドライな考え方をすればそういう結論が正しいのかもしれません。

でも、ウェットな考え方をすれば見え方は違うと思うので、もう少し他の本も読んでみたい。


↓参考文献で気になったものはこれです。

こんな記事もあります

www.anyplacebut.tokyo