ここではない、どこか遠いところ

旅行記と、日々考えること

切ないという感情の正体

説明できない物事がとても嫌なのだ。

気持ち悪い、というか、スッキリしないので、なんとしてでも自分なりの説明を試みている。

たとえば理解できない行動に遭遇した時なんかは、「お腹が空いていて機嫌が悪かったんだろう」とか勝手な理由づけをしてまで、理解(納得)しようとする。そうでないと「なんで?」という疑問がモヤモヤ続き、スッキリしない。


そんな私にとって、鬼門は「切ない」という感情。どう説明しようと説明し足りない気がいつもしてしまうのだ。

何年、何十年経っても「切ない」という感情の消えない出来事はあるもので、そういう思い出には時として苦しめられる。あー切ない。あーなんでかわかんないけど切ない、と。

両親について書いた記事の出来事もそう。

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ほかにも、親について、最近思い出した「切ない」出来事が…。

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私は昔、サンタクロースを信じていた。小学校五年生までだから、けっこう遅くまで本気で信じていた。

あまりにも信じていたので「願い事は誰にもバレてはいけない」という思いが強く、誰にも欲しいものを知らせず、こっそりプレゼントを願っていた。もちろん両親にも。

(この「願い事がバレてはいけない」ルールが果たしてどこを起源としているものかは覚えていない。)

もちろん、親は困惑したはずだ。

「サンタを信じているからコッソリプレゼントを枕元に置きたいけれど、何が欲しいか全然教えてくれない。どうしたものか」



私の両親は当時、比較的高齢なほうだった。40歳そこそこで生まれた子供。今なら普通かもしれないけれど。

しかも大学と高校の教員という(少し世間知らずな)職業と相まって、子供に流行りのキャラものなどには疎かった。いや、単純に趣味じゃなかったのかもしれない。

でもとにかく、彼らは一生懸命プレゼントを考えてくれたのだと思う。

たとえそれが私の希望とズレていても。

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小学校高学年のクリスマス。

目を覚ますと枕元にプレゼントがあった。

流行りのものが欲しくてワクワクして開けたそのプレゼントの中身は「ヒエログリフ」のスタンプセットだった。

私はこのプレゼントのインパクトのおかげで「ヒエログリフ」を忘れられないのだけど、一般的にどの程度浸透している単語かわからない。簡単に説明すると、ヒエログリフとは古代エジプトの象形文字で、人間やら鳥やらがシンプルに描かれて文字を形成しているもの。たぶん見れば「見たことある」感じだと思う。

そのヒエログリフが一文字ずつスタンプになっていて、黒いスタンプパッドもついていて、押していくと文章が作れる…というものだった。


これはまったく想定外のプレゼントだった。

小学生の子供の頭はそんなに崇高じゃない。かといって無邪気にそれで遊べる年齢でもない。

一応、何度かそのヒエログリフスタンプで文章をつくってみた。それなりに楽しいなとも思った。

でも私には「なんか思ってたのと違う」という感情があって、そればかりを憶えている。

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このエピソードをずっと忘れられず、思い出すたびに切ない気持ちになる。

「なぜ欲しいものを素直に見せなかったんだ?」「なぜもっと喜んであげなかったんだ?」という自分への怒り。

無邪気にヒエログリフを探して選んだ、両親の素直すぎる人格に対するもどかしさと、子供があまり喜ばなかった時に抱いたであろう哀しみ。(これは私の想像でしかないんだけど)

説明するとすればそんなところだけど、切ないなぁという感情はもっと言葉にしづらいものだ。

「言葉にできない」と言うのは、負けなのに。

となぜか悔しい気持ちになる。

それ以上に、やっぱり切ない…。


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果たしてあの「ヒエログリフ」ってまだあるんだろうか?

…と調べたら、あった

古代エジプト文字ヒエログリフであそぼう

古代エジプト文字ヒエログリフであそぼう

そう、この黄色いパッケージが忘れられない。フタはマグネットでつくタイプで、箱がしっかりしたつくりだったのが印象的。

ニューヨークのメトロポリタン美術館が出していたなんて、ハイカラではないか!

まぁこれも燃えてなくなったんだけどね…。

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うちの母親の口癖。

「誰でも自分の経験で一冊なら小説を書ける。問題は二冊目だ」

なんでそんなことをしつこく言っていたのか思い出せないけれど、言っていたことの意味が最近わかる。

自分を脱した文章の面白さに真価が問われるよなぁ。

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