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世界遺産の「潜伏キリシタン」って「かくれキリシタン」とどう違うの?【五島列島の旅・番外編 01】

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されることが決定しました!

www.nikkei.com

私は今年のGWに長年の夢が叶って五島列島に行き、自然と一体になった教会群の素晴らしさを体感し、また五島について調べるなかで、悲惨な歴史的事実も知りました。なのでそうした建物や歴史に価値が認められたということは、単純に喜ばしいなと思っています。

…が一方で、世界遺産になってもそのままの良さを保ってほしい!とも願っています。長崎の中でも五島にしか行ったことがありませんが、その魅力は教会の建物だけでなく手つかずの自然。なんとかそこが失われませんように。


↑五島列島、野崎島の端

五島列島の旅については近々書く予定ですが…

この、「潜伏キリシタン」というのはあまり耳馴染みのない言葉ではと思います。どちらかというと「かくれ(隠れ)キリシタン」というほうが、多くの人が聞いたことがある語感では?

ではこのふたつの言葉には違いがあるのでしょうか?

結論からいうと、この二つはすこし違います。学術的には厳密に二つの語句を区別しているようなので、その違いを簡単に説明してみます(五島列島の旅行記の予習としての意味合いも含め)。

キリスト教を禁じた時代

まず前提として、キリスト教の禁制についての歴史を簡単におさらい*1

1549年 キリスト教がフランシスコ・ザビエルによって日本に伝来

1614年 日本全国に禁教令が敷かれる(=禁教時代のはじまり)

1637年 島原・天草一揆

1644年 国内で最後の宣教師が殉教

1865年 信徒発見

1873年 禁教の高札撤廃(=禁教時代の終わり)

禁教令が発令されたのは、徳川家康が将軍だった時のことです。その後およそ250年も禁教の時代が続きました。禁教令のもとで当時建っていた教会は破壊されてしまったため、五島列島の教会群は、禁教の時代が終わってから建てられたものです。

有名な「踏み絵」はこの時代、キリシタン(キリスト教信者)をみつけるために考えられた制度。他にもかなり残酷な拷問や処刑が繰り返されていたのです…。

ちなみに、遠藤周作の『沈黙』および映画化された『沈黙―サイレンス―』は、島原の乱以降でかつ、まだ外国人の宣教師が登場しているので、時期としては1637〜1644年の間の話のようです。作中に登場する宣教師のモデルとされるフェレイラ*2が棄教したのは、1633年の出来事です。

そして「信徒発見」。

まだ禁教政策が敷かれている日本で、フランス人が自らの信仰のために建てた「大浦天主堂*3」という教会において、日本人がキリスト教信仰を告白したという出来事です。もう長く禁教が続いていた日本では宣教師も処刑などで途絶えてしまっていましたが、人々が指導者のない状態でひっそりと信仰を抱き続けていたことが発覚した驚くべき瞬間だったのです。その後西欧諸国からの圧力もあり、1873年、明治政府は禁教政策に終止符を打ちました(=高札撤廃)。

潜伏キリシタンとは?

では「潜伏キリシタン」についての定義とは。

※以下を参考にさせていただきました。
長崎の世界遺産候補が「潜伏キリシタン遺産」に名称変更へ 「隠れキリシタン」と何が違うの?
なぜ「隠れキリシタン」ではなく「潜伏キリシタン」なのか?長崎・天草「潜伏キリシタン関連遺産」の謎 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

江戸時代の初期、外海、浦上、天草などの信徒たちは幕府の摘発を逃れるために表社会では仏教徒として生活し、内面的にキリスト教を信仰する潜伏キリシタンとなりました。天照大御神や観音像をマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたり、それぞれに独自の信仰の形を形作っていったのです。
教会群とキリスト教関連遺産|長崎修学旅行の魅力|長崎市修学旅行ナビより

禁教時代の250年間は、表だってキリスト教信仰を表明してしまうと拷問にかけられたり処刑されてしまうため、信者たちは「キリスト教信者でないふり」をすることを余儀なくされていました。

キリスト教らしいもの…例えば十字架のモチーフやマリアの像などを仮に持っていると、キリスト教だとばれてしまう。だから、上述のように「天照大御神」や「観音像」といった、日本人が通常崇めていても問題ないものを用い、そこにイエスやマリア、神の姿を心の中で重ね合わせてこっそり信仰していたというわけです。

「潜伏キリシタン」というのは「禁教令が敷かれていた日本で隠れてキリスト教を信じ続けた人びと」なのです。だから「潜伏キリシタン」は禁教令が敷かれていた時代限定のもので、現在は「潜伏キリシタン」の人は存在しないということになります。

かくれキリシタンとは?

一方、「かくれキリシタン」についての定義は以下にありました。

潜伏キリシタンの中には、キリシタン禁制の高札撤去(1873)以降も教会に復帰しない人々がいるが、江戸時代の潜伏キリシタンと区別する意味で彼らを隠れキリシタンとよぶ。
(『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」より)

「潜伏キリシタン」と違い、「かくれキリシタン」は現在も続く存在です。

高札撤廃、つまり禁教が廃止され、キリスト教が自由に信仰できる状況になっても、様々な事情や考え方により元々のキリスト教信仰の形(カトリック)に戻らなかった潜伏キリシタンがいました。それはもはや一つの異なった信仰の形となり、現在も続いているのです。

一説には、禁教が解かれたあとも、先祖代々続いてきた信仰の形を変えるわけにはいかず、たとえば仏壇などを「じゃあ、キリスト教式にしよう」と突然廃止することはできない。とか、長く続く潜伏キリシタンの時代を経て、すでにその様式をカトリックとは別のものとして信仰するようになっていた。という理由があるようです。*4

なにせ250年も続いていた禁教の時代に、精神的にしっかりと信仰を保ち続けられたのですから、その形が定着して容易に捨てられないというのは理解できます。

ただしその信仰を現在も持ち続ける人は、長崎の黒崎、出津など一部の地域に限定され、かなり減っているようです。

世界遺産は「潜伏キリシタン」であることの意味


↑五島列島の中通島にある頭ケ島天主堂

今回の世界遺産登録の名称としては「潜伏キリシタン」が用いられている、ということから、この変容した「かくれキリシタン」の文化ではなく、あくまで、厳しい時代に信仰を貫いた「潜伏キリシタン」という存在が世界文化遺産に認められたと考えられます。

キリスト教は現時点で、世界一信者の多い宗教です。

でもその形が端から端まで一緒ということは実際には不可能で、かなり多様な形が世界各地で生まれており、どこまでがキリスト教か…という判断すら難しい場合もあります。

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↑この記事にも書きましたが、教会の形もさまざまだし(五島の教会も独自のつくりでした)、かくれキリシタンと似た文化(サンシモンという神)がグアテマラにもありました。

長崎市が世界遺産登録を目指した道のりにも紆余曲折があり、構成要素を変えたり方針を変更したりということを経てようやく認められたわけですが、世界遺産として認められる普遍的価値のある文化、という意味で「禁教令のもとで信仰を貫いたキリスト教信者」という部分にスポットライトを当てて成功したんですね。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
↑こちらのサイトの地図で、各構成要素をクリックすると説明が出ますが、いくつかの構成要素の説明が「…彼らの『潜伏』は終わりを迎えた」と締めくくられていることからも、潜伏していた=隠れて信仰を貫いた、という事実、そしてその後キリスト教信仰が自由になった、というストーリーが重視されていることが見て取れます。

五島列島の教会群全般については、禁教時代が終焉してから建てられたものなので、この世界遺産のストーリーからすると「信仰自由化の象徴」という位置付けになるようです。


個人的には「かくれキリシタン」も非常に興味深い文化の形だと思います。まだまだ知らないことだらけなので、もう少し調べてみたいな…と感じました。

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↑それにしても五島列島は本当に素敵なところなのです。

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↑神という存在について考えた、こちらもぜひ。『沈黙』は名著です。

*1:長崎県世界遺産登録推進課のサイトを参考にさせていただきました。

*2:参考: クリストヴァン・フェレイラ - Wikipedia

*3:長崎市内の教会。世界遺産の構成要素の一つ。

*4:参考: 平戸市切支丹資料館|かくれキリシタンの里・根獅子ヶ浜